自己責任論、頑張れば報われる…
一見、まっとうに見える考え方です
しかし、その裏側には「困っても自分でなんとかしてね」「今の状態になったのは全部あなたのせいだよ」という、冷たい考えが隠れています
今回は、そんな「冷たい社会」によって生きづらくなっている世の中を変えるための「ケア」の考え方をお届けします
本記事をオススメする方
・社会問題をこれ以上見過ごす自分がイヤな方
・自分と大事な人を大切にしたい方
・今の社会を良くしていきたいと考える方
目次
「ケア」は自分の想いではなく他者の想いに寄り添うこと
「~のために」という言葉はわかりやすく、便利です
しかし、親から子、上司から部下という上下関係の中で使われることが多いのではないでしょうか?
叱るという行為は、相手を変えるための行為である
「あなたのためだから」と言いながら、結局は自分が相手をコントロールしたいだけなのです
(利他・ケア・傷の倫理学)
「~のために」という決まり文句がなくても、”頑張れば報われる”という「自己責任論」が、社会的弱者のなんとかならない状況にまで向けられ、「頑張っていないからだ。自業自得だ。」という論調になっている気がします
欠けているのは、自立的に考え、相手と対等に対話しようとする姿勢です。
(ケアし、ケアされ生きていく)
以上のように、現在の多くの”ケア”は上からの押さえつけや、相手の状況や想いを尊重していないもので、すれ違ったり、互いの理解を阻んでいます
巡り巡って、自分たちのケアもおざなりになるという悪循環に陥っているのではないでしょうか?
自分の傷を見つめる
じゃあ、どうすれば「ケア」することになるのか?
まずは、私たち自身の傷と向き合うことから始まります
「常に周囲の人間をサポートし、ケアする善良な私」というセルフイメージに搦めとられることを自制することが重要です。
(利他・ケア・傷の倫理学)
他者にいい顔ばかりするのではなく、他者と同じように自分も大切にすること
そうすることで、傷ついた「自分の大切」に気づくだけでなく、傷つきを防ぐことができるからです
「回復する」ということは、前の状態とは違う形の生き方を手に入れられるようになることです。
自分のライフスタイルが変化し、さらには自分が変化するということです
(利他・ケア・傷の倫理学)
「レジリエンス」というように、傷と向き合うことで前よりもいい自分に変わることができる
ケアは…「あなたの傷」から始まるのです。
(利他・ケア・傷の倫理学)
以上のように、自分の傷と向き合って初めて他者へのケアへと踏み出せます
「他者のケア」=他者の大切のために自分を変える
前述したとおり、現在の”ケア”はすれ違っています
それは、自分を押し付けて、他者を変えようとしているからです
他者を変えようとするのではなく、自分が変わることによってもたらされる。
そこに利他が顕れる
(利他・ケア・傷の倫理学)
そうではなく、本当の「ケア」とは、傷と向き合った自分を変えてまでも駆り立てられるようなものであるということです
…アイデンティティを変更しなければ、それでもなお、その他者の傷に対する予感が僕らをケアへ駆り立てる時、必然的にアイデンティティの改訂が起こる
(利他・)
『ケアし、ケアされ生きてゆく』の竹端氏は、娘さんが生まれてから、仕事を中心とした生活から、娘さんの育児の時間を増やすため、出張をほぼ全て断ったそうです
自分の大切にしてきた考えを変えてまで、相手に寄り添う衝動に突き動かされ、新たなやり方に変えていく
以上のような、「思いがけずやってしまう利他」が「ケア」の本質だということです
他者の意をくむ
しかし、勢い余って行動しても、相手を無視した行為はケアにはなりえません
「私は間違っているかもしれない。だからあなたに導いてほしい」
この希求の念を汲んで、これに応じること。それがケアであるはずです。
「待つ」というのはこういうことです。
(利他・ケア・傷の倫理学)
たとえ、相手が間違っていることに気づいても、すぐに行動するのではなく「待つ」こと
すぐに口を出したくなるので難しいことですね
『暗殺教室』の中で、殺せんせーは「叱る」や「指導する」という言葉を使いません。
…「手入れする」と言います。
僕はこの表現に、生徒という存在への敬意と尊重を感じます。
(利他・ケア・傷の倫理学)
教育に限らず、自分の考えを押しつけず、相手を慮るような姿勢、言葉づかいが重要なのだそうです
他者への「ケア」で救われる
以上のような、自らの「大切」を変えてまで行う「ケア」は巡り巡って私たちに還ってきます
他者の傷に導かれて僕たちはケアを為す。
そしてそのケアの中で、思いがけず自分が変わってしまう。
利他が起こり、自己変容に至る。
それが僕らに「生きている心地」「自分の人生を生きている実感」を与えてくれる
(利他・ケア・傷の倫理学)
『心はどこへ消えた?』の中で東畑氏が言っていたように、他者の物語に触れて自分の物語が呼び起こされ、自分を変えざるをえなくなり、よりよき自分になる
「あなたのために」という押しつけ・上から目線ではなく、自分の傷との対話を経て「あなたの傷をなんとかしたい」という純粋な想いを抱き、利他という行為に至る
受け取り、与え、そしれ赦す。僕らはそうやって救われていくのではないでしょうか。
(利他・ケア・傷の倫理学)
気づけば、自分が救われている
「ケア」の循環がお互いを救いあって、心温かな世界へとつながっていくのかなーと思います
「ケア」の循環で世の中を温かくしよう
soupstock tokyoの「世の中の体温を上げる」のように、「ケア」の循環で世の中を温かくできるのではないでしょうか?
1人1人が自分を大事に、そして他者を大事にすることで、生きづらさが少しずつでも減りますように
では、また
参考書籍:ケアや対話に関する本